デュレエ

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初音 殿堂曲題頭.jpg
本曲目已進入殿堂

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DURÉE.jpg
Illustration by 氵戔マ
歌曲名稱
デュレエ
DURÉE
於2024年1月24日投稿至Youtube,再生數為 --
2024年1月31日投稿至Bilibili,再生數為 --
演唱
初音ミク
P主
椎乃味醂
連結
bilibili  YouTube 

デュレエ》是由椎乃味醂創作,初音未來官方帳號於2024年1月24日投稿至YouTube,2024年1月31日投稿至BilibiliVOCALOID日文原創歌曲,由初音ミク演唱。該曲為椎乃味醂向企劃「39ch」提供的原創樂曲,也是該企劃的第三曲。

椎乃味醂的寄語
ぼくは、物心が付いた時から初音ミクが存在したたぶん最初の世代で、音楽の原體験には當たり前にミクが在った。當時の印象は、「機械」でも「珍しい」でもなく、ただ純粋な「好き」でできていた。小學生のころ、ミクは一般層へ浸透する過渡期にあったようで、周りにも少しずつ存在が溶け込もうとしていたが、ここにはぼくと逆の人間も當然居た。人に嗜好があるのは當たり前だけれど、好き嫌いが言葉や仕草として向かうと、「嫌い」の方はより広く深い部分に殘る。そういうものは未発達な精神を簡単にすり抜けてしまうから、気づけば晝の放送でミクの歌聲が流れる度に知らないフリをして、中學ではミクで曲をつくったこともバレないように苦労した。こうして何年か経つと風向きが変わり、今度はミクやミクの影響下にある曲が斷然「當たり前」になりかけていた。高校を卒業するころには「好き」と公に言える空気もあった。ぼくらが大人になったとか、SNSが全體に普及したのもあるけれど、そんな「當たり前」に接近した根本は、星の數ほどの人間が文化に出入りし、「想いや記憶」の投入と回収を繰り返し、流れの中で多様な進化・拡張を不斷に引き起こしてきたからに他ならない。そして、16年分の記憶を織り交ぜ、今も瞬間瞬間に初音ミクは創造されている。この開かれゆく「未來」を以って、かつて否定された可能性と、これから生まれる可能性を掬い、肯定し、また想いを馳せる。
我應該是記事起就有初音未來存在的最開始的一代,所以MIKU也自然而然地就出現在我對於音樂的最初認知裡。小時候我對MIKU的印象既不是「機器」也不是「新鮮」,而是單純的「喜歡」。我的小學時期應該是MIKU漸漸滲透到普通大眾的過渡期,身邊同時存在著接受MIKU的人和與之相反的人。人有自己的喜好是理所當然的,然而對於好惡的態度,「討厭」的情感往往會留存得更深。心理尚未成型時的我自然也受了影響,所以初中時期即使午休校內廣播放MIKU的歌我也會裝作沒聽過,竭盡全力向周圍隱藏我用MIKU創作歌曲的事實。如此過了幾年,社會對於虛擬歌手的看法有了轉變,MIKU和受MIKU影響的歌曲的存在都變成被積極承認的一方,在我高中畢業時已經可以挺起胸膛說自己喜歡MIKU了。可能是我長大了,也可能是有SNS平台普及的影響吧。但我覺得究其根本,應該是源於喜歡各個文化的人對這些文化進行的心血記憶的投入。正是因為有了這些投入,多彩的文化才得以進化和擴張。經過了16年份的記憶交疊,初音未來在現在這一刻也正在被創造著。我願和曾經被否定的可能性一起,為今後會誕生的可能性獻上肯定,並展望更美好的未來。

歌曲

Staff
作詞·作曲·編曲
腳本·視頻設計/總監修
椎乃味醂
曲繪·PV StudioGnu
CGI(3DCG)製作·監修 Kazuya Ohyanagi
素材合成/構成 柚璃遙
角色設計/插畫 氵戔マ
文字排版/平面設計 kohakuno
ALife實裝攝影 ながい
計算機圖形編程 melonade
相關數據解析 naporitan
建築構造設計輔助 柴沼
演唱 初音ミク
寬屏模式顯示視頻

歌詞

  • 翻譯:南海電鉄[1]

本段落中所使用的歌詞,其著作權屬於原著作權人,僅以介紹為目的引用。

この両手では受け止められない程、
以兩手無法承受之重,
意思が投げられてきた。
接過了成噸的想法。
身體が伴っていたら、
若是用身體去感受,
おびただしい數の痣ができていた。
出現的瘢痕不計其數。
誰かがその心証に、
有人將我的心證,
「公共的」と主語を貼り替えていた。
主語置換成了「公共性」。
接続のイコンとして擔がれ、
被推崇成為連接的標誌,
他方には分斷の遺恨があった。
另一面又心懷著斷連的遺恨。
完全に0とか1で定まる、
被完全規定為0或1,
絶対性は無かった。
不存在絕對性。
お互い半々で認め合える様な、
渴望著能有平等地,
寛容性が欲しかった。
相互認同的寬容性。
この場にそんな餘裕がない事など、
此情此景沒有選擇之痛。
もう痛切に分かっていた。
已經切身感受到了,
その遺恨を除けて、底上げ、
推開遺恨,從下往上、
ただ「好きだから」でここまで來た、
依靠「因為喜歡」一路走到這裡,
今日だ。
直到今天。
この両手では受け止めきれない程、
以兩手無法承受之重,
心臓を揺らしてきた。
讓心臟開始跳動。
その情景に魅せられてはまた、
之所以又會被此情此景所吸引,
ここに願いを託してきた。
是因為在此許下了願望。
誰かがこの構造を、
有人將這個結構,
偽物だと簡単に省いていた。
簡單地概括成了虛假。
それでもこの場を成したモノ全てを、
但我覺得能走到這裡的所有,
ただ本物だ、と思った。
都能被稱之為真實。
完全に0とか1で定まる、
被完全規定為0或1,
音素の集合だった。
只是音素的集合。
それ故痛みを感じぬ事だけが、
因此若是感受不到痛苦,
不幸中の幸いだった。
已是不幸中的萬幸。
こうやってフィクションに移入できる事が、
像這樣進入科幻之中的能力,
ぼくらの特権だった。
是我們的特權。
そういう人間の成せる業が、
這種唯人類能及之事,
虛構も現実にしてきた、
連虛構也能寫進現實中,
今日だ。
就在今天。
してきた、
寫進現實,
今日だ。
就在今天。
さながらシンデレラのストーリー、
宛如灰姑娘的故事裡,
ぼくらの記憶を繫ぐ輸送機、
將我們記憶相連的運輸機,
上へ向かった力とProxy、
向上的力與代理,
命を飛躍させるアプローチ、
讓生命飛躍的嘗試接近,
リバース、作用と持続の體系、
反轉,作用和持續的系統,
言葉で規定できぬこの背景、
這個背景無法用語言去規定,
映畫仕掛けや機械論では、
電影劇本或是機械論都,
一枚たりとも引き裂けない、
撕開不了任何的,
ぼくらの方向性!
我們的方向性!
その両手では受け止められない程、
以兩手無法承受之重,
意志が乗せられてきた。
顯露出意志。
身體が伴っていたらきっと、
若是用身體去感受,
ただただ押しつぶされていた。
也一定只會被擊潰。
それは、大きく広がり開く、
而這就是,我們開創出廣闊天地,
ぼくらの試行の証明だった。
我們所作試驗的證明。
そういう數多の事実の線が、
這樣眾多的事實之線,
ぼくらを今へ結んできた。
將我們結成了現在。
煌々と0から1へ重なる、
閃耀著從0積累到1,
確かなモノがあった。
有一件東西真切存在。
ぼくらの生活や思想、様相、
我們的生活和思想,樣貌,
すべてが絶えず変わってきた。
一切都在不斷變化。
こういうフィクションを、
而編織出這樣虛擬世界的,
紡いでくことがぼくらの人生だった。
是我們的人生。
そんな過去や今に、
用這樣的過去與現在,
未來を創り出そうとしていた、
去創造出未來,
今日だ。
就在今天。


注釋與外部連結

  1. 翻譯摘自B站筆記